ホセルイス・ゴンサレス・フリア
アルコイ . 1995年2月23日
証明します:
蜂谷 信夫氏は
私の指導のもと 4年間、クラシックギターを学び研鑽していますが
それら過程に於ける 彼の上達ぶりは 卓越しており
美しく素晴らしい音 を身につけ、
彼のフレーズ(表現/歌い回し)は とても美しく、
つまりは
他のギタリスト達のなかを見渡しても
出会うことがとても困難な資質を 彼は兼ね備えています。
私は彼に、
数々の大成功を収めてもらいたいと、心より願っています〜
(拙訳)
蜂谷 信夫 Nobuo Hachiya
1957年東京板橋区仲宿生まれ。
父は, 岩手県一関市田村町出身。
母は, 祖父の仕事上, ハルピンで
生まれのち東京阿佐ヶ谷で育つ.
両親の戦後,旧満州引き揚げのち
国家公務員の父親の仕事関係上、
生まれて2歳の時から、転々と
十条〜滝野川と幼少期を過ごす。
小学6年生より三鷹市で育つ。
三鷹六小/一中〜都立府中高卒。
慶應義塾大学文学部東洋史専攻
〜幼年期/乳母車時代、は
『ビア樽ポルカ』を聴かせるとすぐに泣き止んで、上機嫌で
体を揺すって興奮してたよ、と今は亡き母からよくきかされました〜笑
〜幼少期、もの心ついたときから
坂本九&パラダイスキングに憧れ
以降、 当時の人気TV番組『ザ・ヒットパレード』をはじめ
姉兄からの影響はもとより、
とくに滝野川第六小学校在学時においては、僅か2年半の間でしたが
故.今成睦夫先生による温かく恵まれた音楽教育環境にも育まれ、
以降ふくめ、なかでもとりわけ、自身としては
ベンチャーズ、プレスリー、ビートルズ、PP&M、ジョーンバエズ、
S&G、エリッククラプトン、ラヴィシャンカールetc. のサウンドに魅かれ
草野球や、部活サッカー&ブラスバンドetc.に明け暮れる傍ら、
姉や兄のギターを勝手に持ち出しては、コピーをして楽しむ毎日でした〜
〜転機となったのは、今思うに
とくに都立府中高校在学時代。
当時、そのノンビリとした おおらかな校風のなか
沢山のオモロイ個性溢れる先生や学友達に恵まれて
培った、その自由な表現精神を糧として〜
高田馬場『一橋学院』予備校 での浪人生活を経て
慶応義塾大学文学部入学後、
ユニークな音楽愛好会(当初十人位)の夏合宿に参加する。
これを契機に以降、仲間とともに正式サークルに起上げるべく活動し
その間、慶應義塾内での三田祭を起点とした音楽サークル間での交流を
はじめとして、ほか自身としては活動を徐々に拡げ、学外、プロetc.での
さまざまな個性豊かな音楽仲間環境にも恵まれ、学業も疎かに
日夜、自らその得意分野とするアコースティックギター1本での
ポールサイモン(S&G)のコピーをはじめとする弾き語りを中心に
当時、EPICSONYプロデューサー: 小坂洋二氏の薫陶も仰ぎながら
ソロやデュオでのライブ活動を幅広く展開〜
その後、ラルフタウナー、パットメセニー、他キースジャレットなど
ECMレーベルのアーティストや、ウィンダムヒル(マイケルヘッジス等)
ほか Jazz, ボサノバ(とくにジョアンジルベルト)etc.の影響もうけながら
自作のアコースティックインスト曲を中心にライブ活動を行う〜
大学卒業後、意を決して
自身にとって人生初めての『習い事』に踏み切る。
〜幼少から特別な音楽教育を受けられるような家庭環境でもなく、また
人から”習う”事が 大の苦手で、学業に関しても大学受験浪人時代を除き、
塾へも行かないでサッカー等好きな事をやっていました〜
A.セゴビアの音に感動と衝撃をうけ、
クラシックギターをアンサンブルを中心に
日本ギター音楽学校/阿佐谷にて松本俊雄氏に師事。
9ヶ月程経て〜
武蔵野音楽学院/調布市.布田(故.樫本滋郎学院長)にて
伊藤博志氏にクラシックギターを
清水義文氏にジャズフュージョンギターを
それぞれ師事〜 同学院プロ養成科卒。
その間 某貴金属メッキ工場, 大手教育関連出版会社教材編集部勤務を経て〜
1990年7月スペインのアルコイ市へ、伊藤博志氏を介して
クラシックギターの巨匠、ホセ ルイス・ゴンサレス氏を慕って渡西。
以降、
ホセルイス、井上幸治両氏の薫陶を仰ぐ。
1993年コルドバにて、ペペ・ロメロ氏のマスタークラスに参加。
その後、スペイン各地で演奏活動を行う。
1995年3月、右指関節障害の為
同年4〜5月に日本某ギター協会理事に依頼されていた
”帰国リサイタル”、ほか を全てお断りして帰国。
1996年6月、意を決して再びアルコイへ。
以後96年9月から、井上幸治氏の紹介で
両氏の薫陶を仰ぎながら、右指の療養を続ける。
1998年3月、マエストロ. ホセルイスの急逝。
同年12月末に父親の急逝。(いずれも心筋梗塞による急逝)
2000年夏、ロベルト・アウセル氏ほかのマスタークラスに参加。
2001年3月帰国。
以降十年間程、三鷹&吉祥寺を転々と借家住まいしながら生活する。
2003年4月、恩師井上幸治氏の急逝。
2004年4月から2014年3月に至る迄の十年間、
教授活動はおもに 宮地楽器Music Joy 渋谷/立川北 、ほかで展開。
2007年9月、二十年来の癌闘病により、母逝去。
2011年5月1日より
地域に根ざした ギター教室&音楽スタジオ(録音スタジオ)をモットーに
故郷三鷹の地に、
自宅兼個人事業所 『ギタースタジオhacchi』を正式に開業する。
2014年4月1日より
十年間の長期に渡った YAMAHA関連大手企業との関係 を自ら断ち切り、
教授/演奏活動も含めた、諸々の音楽活動全般を
自宅兼個人事業所 :
『ギタースタジオhacchi/蜂谷信夫ギター教室』での、
完全一本化に踏みきる。
今後は、 当スタジオ教室を起点として
地元三鷹&武蔵野市はもとより、
調布、小金井、杉並井の頭線沿線地区ほか
練馬,西東京,国分寺,府中,国立,世田谷etc. . .
『むさしの』地域の音楽文化&コミュニティーに貢献すべく、皆様と共に音楽活動を拡げていければ、と願っています。
皆様には、
今後とも当拙宅スタジオ教室を 温かく見守ってくださるよう、
心より宜しくお願い申し上げます。
平成29年7月吉日。
『ギタースタジオhacchi 』主宰: 蜂谷 信夫